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コミンテルンの陰謀
『8.6田母神講演会 ヒロシマの平和を疑う!』より (チャンネル桜 H21/8/12放送)

それでも日本は支那との戦争を避けようとして停戦協議を続行するんです。しかし8月に入っても日本軍に対するテロ攻撃は止まないんです。大山中尉殺害事件とか色んなこのテロ行為が日本に対して起きます。そして8月の13日になります。これが上海に飛び火をします。第二次上海事変と言うのが起きます。中国側が地上からだけではなくて、今度は空中から飛行機まで使って日本人居留区に対して大規模な攻撃をしかけます。ここで日本人側が大勢を死ぬこととなるわけですね。そしてここに至って初めて日本政府は、もうこれは支那と戦争をやるしかないと言う決心をすることなりました。

そこから初めて軍を日本は投入するわけですね。7月の7日から8月の15日までの1ヵ月半、一生懸命停戦をしようと言うことで努力をしたのは日本です。これに対して繰り返し日本に対してテロ行為を仕掛けて日本を挑発して戦争に引きずり込んでくのは中国です。なぜこう言うことが起きたかと言うと1917年にロシア革命が起きて1919年に世界を共産化するための共産主義インターナショナルと言う組織ができます。その本部がモスクワに置かれます。コミンテルンですね。

このコミンテルン、いわゆるスターリン、ソ連のスターリンですね。この指示が、これが、蒋介石国民党と毛沢東共産党は当時中国で内戦状態なんですね。毛沢東共産党がもうやられる寸前、負ける寸前なんです。この時ですねこの蒋介石国民党と日本軍を戦わせて、蒋介石国民党の力を弱くして弱ったところで毛沢東共産党に中国全土を支配させようと言うのがこのコミンテルンの狙いです。ですから、日本がいかに中国と停戦しようとしてもこのコミンテルンに操られた中国側がですね、日本に攻撃を仕掛けてくるんです。

実は蒋介石はですね1937年7月7日盧溝橋事件ですが、その半年前1936年の12月にですね。この蒋介石の部下指揮官である張学良と言うのがいたんです。張作霖の息子ですね。張学良がですね北京の近くにいて毛沢東共産党と戦っているはずなんですが一生懸命戦わない。したがってこれをですねちゃんと戦えと督促しに行くんですね。

そしたらその時すでにこの張学良は毛沢東共産党と手を握っていて、この自分のまぁ言わば上司である蒋介石を拘束する逮捕しちゃうんですね。毛沢東飛び上がって喜ぶんです。これで蒋介石を殺せる。しかしスターリンから指示がでるんです。生かしておけと。日本軍と戦わせるには蒋介石しかいないと言うことでですね。蒋介石の命を助けるわけですね。蒋介石はコミンテルンによって命を救われる。また息子の蒋経国もですね11年間モスクワに拉致されてたわけです。これも助けてもらうんですね。

多分スターリンと蒋介石の間にですね毛沢東共産党と通じる取引があったんではないかと思います。日本軍といわゆる第2次国共合作ですね。国共合作。共産党と手を合わせて毛沢東共産党と手をつないで日本軍と戦うんであれば命を助けてやると言う取引があったんではないかなという風に思います。蒋介石は日本の陸軍士官学校にも留学をし、新潟の高田の連隊で3年間隊付き教育を受けてたんです。非常に親日的な人でした。これが命乞いの為にですね日本を裏切って、このコミンテルン側につくわけですね。

そう言った背景があってですね、日本がいかに戦争を避けようとしてもむこうが仕掛けてきて戦争に巻き込まれていきます。そして8月15日以降日本は軍を投入をしてですね、中国の当時の首都南京に向かって軍を進めます。約4ヵ月後12月の13日に南京、当時支那の首都であった南京は日本軍によって陥落をさせられます。この時30万人の虐殺があったとか言われているわけです。

虐殺と言うのは、兵隊同士が弾を撃ち合って死ぬのは虐殺とは言わないんです。民間人とか無抵抗な捕虜を殺すから虐殺と言うんですね。30万人の虐殺がこの時あったとか中国は言ってるわけですけどもこの時支那の首都である南京はですね国際都市なんですね。各国の公使館も全部ある、各国の通信社もみんないたんです。日本人の兵隊がおばあちゃんを殴ったぐらいで日本政府に抗議が来る時代です。なんですね。当時は。その時南京代虐殺について公電が打たれたことは一回も無か・・・電報が打たれたことは一回も無かったし、また日本政府に抗議がきた事も一回も無かったんですね。これは嘘だと言うことです。






『8.6田母神講演会 ヒロシマの平和を疑う!』より (チャンネル桜 H21/8/12放送)

実は、アメリカでは1933年にフランクリン・ルーズベルト政権と言うのができました。そのままフランクリン・ルーズベルトは4期大統領をやるわけなんですね。4期目の途中、大東亜戦争が終わる直前にこのルーズベルトは死にます。その後をトルーマンが受け継ぎます。1953年まで続くんですが、20年間アメリカは民主党政権が続くんです。1933年から1953年まで。1953年にアイゼンハワー共和党政権ができるわけですけれども。これが日本の不幸だったかもわかりません。

実はこのフランクリン・ルーズベルトは第3期目の大統領をやるときにですね
共和党の党首はハミルトン・フィッシュと言う人なんですね。このハミルトン・フィッシュとまぁ戦いになるんですども。アメリカ国民はもう戦争は絶対いやだと言うムードがアメリカには蔓延してたんです。ですから、フランクリン・ルーズベルトはアメリカは絶対に戦争はしないと言う公約で大統領になった人なんですね。

ですから、2年前にその1941年、日米戦争が始まる2年前からヨーロッパで戦争が始まっててイギリスのチャーチル政権がですね、もうヒトラー、ドイツのヒトラーにやられそうになってで、チャーチルからアメリカに助けてくれと要請がなんども届くんですけれどもフランクリン・ルーズベルト大統領はドイツに対して宣戦布告をすることができない。それは、絶対に戦争はしないという公約で大統領になったからです。アメリカの大統領の公約というのは大変重たいです。日本の政治家の公約すぐはがれます。

フランクリン・ルーズベルトは考えたわけですね。当時ドイツとイタリアを日本は同盟国です。ドイツの同盟国である日本を締め上げれば、太平洋で締め上げれば日本はアメリカに対して手を出してくる可能性が高いという風に踏んだわけです。そして、そのアメリカの計画に引きずり込まれて日本は真珠湾攻撃に入っていくわけですね。

アメリカにヴェノナファイル(VENONA files)と言う文書があります。このヴェノナファイルとかヴェノナ文書とか言うのがですね。アメリカは実は1940年から1948年まで8年間さっきのコミンテルン、共産主義インターナショナルコミンテルンの本部モスクワとですね、出先のエージェントが無線で交信をするこれを8年かにわたってモニターしたんです。モニターをしたけれどソ連が一回限りの暗号書を使うので解読できないんですね。内容がなにかわからないの。で、アメリカは日米戦争を戦っている最中の1943年からこの解読作業に組織的に力を入れたんですね。そしてなんと37年かかって1980年レーガン政権ができる直前にですねこの解読作業を終えました。

これによるとですね、このフランクリン・ルーズベルト政権の中に300人以上このコミンテルン国際共産主義のスパイがいたと言うことが書いてあるんですね。・・・事が判ったんです。それを、そう言ったものをまとめた文書がヴェノナファイルと言う文書です。
アメリカの公式の文書ですね、これは。今これはですね、CIAのホームページとアメリカのNSA国家安全保障局のホームページに掲載をされているのですが、誰でも読むことができます今はですね。まぁ、英語だから読むのはちょっと大変ですけれどもこの1980年当時は冷戦の真っ只中ですからですね、ソ連に手の内を知られるのはまずいと言うことでこれは機密文書にされていたんですね。

1995年になって冷戦がおわってこれが機密が解除されて今は一般に公開されているんです。それによると、フランクリン・ルーズベルト政権の中に300人コミンテルンのスパイがいました。その中で、コミンテルンのスパイの中で政権の中で一番えらくなったのは誰かとハリー・デクスター・ホワイトと言う男だと。

これは後に財務次官補になったんです。財務省のNo2になったわけですね。
この男がコミンテルンのスパイだった。ハルノートを書いたのはこのハリー・デクスター・ホワイトだそうです。当時、フランクリン・ルーズベルト大統領の下にはヘンリー・モーゲンソウと言う財務長官がいました。ハリー・デクスター・ホワイトはこの下にいるわけですね。

一方国務省ではオーデル・ハル国務長官。ハル国務長官ですね。このフランクリン・ルーズベルト大統領はこのハリー・デクスター・ホワイト、コミンテルンのスパイが書いたものを採用してハル国務長官を通じて日本に渡したと言うことだそうですね。ハル国務長官もこんなことを日本に言ったら戦争になるんではないかと言うことを言ったそうですからまぁ、それはもう判っていたわけですよね。

ハミルトン・フィッシュと言う当時このフランクリン・ルーズベルトの政敵ですね。共和党の党首。この人はですね、日米、戦後日米開戦の悲劇と言う本を書いているんですね。1991年、冷戦が終わった後に亡くなられましたけども
亡くなる直前にこのメモを残しているんですね。それがこの平成3年のあの諸君と言う雑誌がありますがこれが今年無くなってしまいましたけれども残念ながらですねこの平成3年の諸君の8月号に、このハミルトン・フィッシュ元共和党党首のメモが残ってるんですね。

これによるとですね、ハミルトン・フィッシュは次のように言ってます。我々は、我々はそのフランクリン・ルーズベルトからですね。アメリカ政府が日本政府に対してハルノートのようなものをぶつけていると言うことをまったく知らされていなかった、外交委員である私にさえフランクリン・ルーズベルト大統領はハルノートを日本に、こんなものをぶつけていると言うことを教えていなかった。と言うことを言っています。

あんなものをぶつけられたら、それは日本だって戦争に訴えたくなるだろう
実は真珠湾攻撃は日本がやった時はですね、このハミルトン・フィッシュもそれを判らなかったからですね、日本は卑怯な国だと彼も叫んだんです。しかし、共和党は当時日米開戦に大反対でした。それを、反対を押し切ってルーズベルトが日米開戦に導いたわけですけどもですね。

ハミルトン・フィッシュは40年間この日米戦争について研究してきて私は驚くべきことを発見をしてしまった、それはハルノートを書いたのは誰かと言うことだと、これはハルノートを書いたのは、これはアメリカ人もこれを知ったら本当に驚くであろうと、それはコミンテルンのスパイであったハリー・デクスター・ホワイトだと、この共和党の党首が書き残しているわけですね。



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日本は負けた。徹底的にコミンテルンに敗れた。

日本は敗戦革命により共産国になっても全然おかしくなかった。
・・・そうはならなかった。

アジアの奇跡と呼ばれる戦後復興を成し遂げ、先進国の仲間入りをした日本。

レッドパージ(赤狩り)、逆コース、ベルリンの壁崩壊、ソ連崩壊、冷戦終結

共産主義は過去のものになった?

しかし現在、反日左翼により日本は解体されようとしている。

反日を操るのは中国共産党?

中国共産党を操っていたのは?


田母神氏はコミンテルンの陰謀を伝え、航空幕僚長を辞めさせられました。
この事態はコミンテルンと同目的の組織が現在も存在していることを証明しています。




コミンテルン・・・共産主義の国際組織

共産主義の思想であるフェミニズムを推し進める国際組織の代表格・・・国連

自衛隊の国連の平和維持活動への参加・・・

国連主義の政治家達・・・

辞めさせられた田母神氏・・・


【重要】カテゴリ内の『正しい理解のための陰謀論入門』を見てください。

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by sikousuru-nippon | 2010-03-16 03:28 | 御奨め記事